2013年3月3日日曜日

参考文献について




 長官狙撃事件に関しては3社からそれぞれ特色のある本が出版されていますので、この事件についてさらに深く知りたいという方がたには一読をお勧めします。ただし、最後の産経出版の本は無視されてもかまいませんが。
 以下、書評をかねてそれらの紹介をします。

『警察庁長官を撃った男』(鹿島圭介著・新潮社 2010.3.20発行・¥1575:改訂文庫版・¥620)
 この著者は題名が示している真の狙撃者である私に直接取材をしているだけに、事件の真実に一番迫っていることはいうまでもありません。狙撃の動機、使用銃器、行動の実態等についての記述の精確さが他の二書の及ぶところでないのは当然です。
 とはいっても、著者の思い込みや思い違いのようなことも入っていますし、書かれていることが100%真実というわけでもありませんが、それでも95%程度の真実性は保証できます。それだけあればドキュメンタリーとしては十分に合格点を上回っているといえましょう。
 この本の中で私にとって最も印象が深かったものの一つは、第五章後半の遺留弾丸の鑑定の部分でした。著者のいうとおりこの鑑定資料はそれまで全く目にしていなかったので、この本によって初めて知ったことがいくつもあったからです。
 それにしても、これほどの精密詳細な鑑定結果が得られたのには、科研(=科学捜査研究所)にいた一人の技術者の働きによるところが大きかったといえそうです。それが本著(P.173 文庫版ではP.236)で「U.T.」と記されている内山常雄技官(現在は退官)です。
 この人物はUSAの銃器感定員の公的資格を有するエキスパートで科研の銃器鑑定技術が現在の水準に到達したのはこの人の貢献があったからこそと私は考えているのですが、まずもって日本においてはこの道の第一人者といえるのではありますまいか。
 長い間、国内の銃器関連事件の殆どすべてにかかわってきたこの鑑定員が、8インチ銃身のコルト・パイソンという数少ない拳銃とフェデラル社製のナイクラッド357マグナム弾(カタログ名「N357E」)という希少な弾薬との考えられないほど希有な組合わせの凶器を所持していた者こそ本件の真犯人であると断定していたことをここに付け加えておきましょう。
 もう一つ注目すべき現象は、この本が一般社会でよりもむしろ警察部内で広く熱心に読まれていたらしいことです。警視庁内の売店に平積みされていた本書がたちまち売り切れてしまい、他の職員の目から隠すために公安部が買い占めたのではないかという噂まで出たくらいですし、警察庁内でも必読書に近い扱いをされていたとか。
 確かに徹底した秘密主義の公安部門で秘匿されていた事実が次々と暴露されているのですから、何も知らされていなかった他部門の職員が関心を抱くのも無理からぬことですが、しかし、何にもまして自分の所属する組織の最高指揮官が狙撃された重大事件に無関心ではいられないという事情に基づくものでしょう。

『時効捜査』(竹内明著・講談社 2010.4.23発行・¥1995)
 400ページを越すかなり分厚い本ですが、内容もそれなりに充実しています。著者は司法当局に広く人脈を持っているそうですが、さすがに捜査陣の内幕については詳細で臨場感もあります。長官が撃たれたために警視庁が全力を挙げてオウム教団と闘う決意を固めてゆく状況が明らかにされていることは、私にとって狙撃の目的が達成された事実を裏付けるものとして、感慨を新たにさせられました。
 しかし、またそれとは別に市井の歯科医が実は弾道学の権威で鑑識の嘱託員となって活躍していたという事実には、まるでミステリー小説にでも出てきそうな展開で全く驚かされました。私は一般兵士などよりもはるかに銃器弾薬についての知識は豊富だと自負していたのですが、それでも個々の弾薬メーカーの製造実態まで知悉していたわけではありませんから、本書にある使用銃弾の詳しい背景説明によって新たに知ったことも少なくなかったのです。
 それはともかく、ここで使用銃弾についての本書の断定的見解に対する反論を述べておかなければなりません。それは銃弾がハンドロードhandloadであるとしている記述ですが、私は絶対にそんな加工などはしていません。
 そもそもナイロン被膜という傷つきやすく剥がれやすい外被を持つ弾体を固く締め付けられた薬莢から抜き取って、火薬量を減らした元の薬莢、あるいは新たに調合した発射薬を充填した別の薬莢に、再び嵌め込んで完全な形に仕上げるというのは、ちょっと想像してみただけでもきわめて困難な芸当であることがわかります。
 しかも、わざわざそんな細工をしてみたところで格別有効な結果は期待できません。それで仮に30mで1~2cmほど精度が向上したとしても(狙撃用小銃の弾がすべて高速弾である事実からすればそれさえ大いに疑問ですが)それが結果的にどれほどの意味がありましょうか。むしろ、そのために弾速が落ちてマッシュルーミング効果(弾頭部の広がり)が減殺されて殺傷能力を低下させることになります。結局こうした小細工は全く実戦的ではないのです。
 では、弾速が通常の357マグナム弾より低いと判定されたのはなぜでしょうか。これはおそらく火薬の経年劣化によるものではないかというのが私の推測です。私が入手したのは'80年代後半でしたが、実際に製造されたのはその数年前だったようです。'95年に使用するまでには多分10年以上経過していたと思われますから、保管状態にもよりますが、どうしても多少の品質劣化は避けられないと考えます。
 ともかくも結論としては、著者がオウム犯行説にも中村犯人説にも否定的である以上、それ以外に犯人を求めなければならないからといって、北朝鮮やロシアまで引っ張り出すのでは、どうも本筋を離れてしまうのではありますまいか。

『公安を敗北させた男』(小野義雄著・産経新聞出版 2011.3.20発行・¥1680)
 ここに挙げた三冊のうちで最も薄い(244ページ)うえに挿入写真もないのに、『警察庁長官を撃った男』よりも高い値がつけられているのはどうも納得がいきません。それも特に内容が充実しているとでもいうのならともかく、実質的には既に上記の二書に記されているものに少しばかり色を着けて繰り返しているような内容ですからなおさらです。
 本来なら(表向きの)時効完成後一年も経って出版されたのですから、その後の注目すべき動きを取り上げることこそ後発の本書を特徴付けるものだったのに、全然その利点が生かされていません。こうした動きの中には野崎研二弁護士による真犯人、つまり中村の刑事告発、検事による出張取調べ、検察庁内での異論を封じ込めたままの不起訴処分、それに対する検察審査会への申し立て等、その一部は全国紙にも報道されたのですから、それらも取り上げるべきであったと思うのですが。
 それはさておき、私が本書の文中で疑問を感じたのは、「事件直後に国松長官が倒れている俯瞰写真」(P.175)なるものはいったいいつ誰が撮ったのかということです。それとも後日作り上げたやらせ写真なのでしょうか。いずれにしても、狙撃直後は関係者全員が動転していて、平静に状況把握していた者などいなかったはずです。ただ、前もって行動手順を心得ていた狙撃者一人だけが割合い冷静に現状確認をしていたのです。
 私から見れば小杉巡査長は必ずしも「公安を敗北させた男」とはいえないと思います。確かに捜査陣が彼の言動に振り回された面はあるにしても、実際には公安(幹部)が自らの思い込みの罠に足を取られて転んでしまったものといえましょう。少なくとも私についてならば、特捜本部は事件を解決するに足るほどのもの、つまり普通の刑事事件なら立件できるくらいの証拠を得ていながら、警察首脳部は何事かを恐れて逃げを打ってしまったということなのです。
 まあ、私なりに小杉巡査長の心理状態を推理してみれば、彼は自分が引き合いに出したオウムの幹部達が決して自分のでたらめな発言を裏付けるような(偽の)供述をすることはあるまいと考えていたでしょうが、それでも用心のために(間違っても冤罪になったりしないように)適当に不合理な発言を交えるという予防線を張っていたのだろうと思います。それに、自分を冷遇してきた警察組織を己れの一言一動で翻弄してやれることに、ひそかな快感をおぼえていたのかもしれません。もっとも、現場の老練な捜査官なら、ここに述べたことぐらいはとっくに見抜いていたでしょうが。
 それにしても、オウムの端本悟が狙撃者だったというのは著者の苦しまぎれのこじつけとしか受け取れません。だいたい秘密情報機関で特別な暗殺の訓練を受けたわけでもなく、数人がかりで丸腰の民間人(坂本弁護士一家)の寝込みを襲ってドタバタ殺人劇を演じた程度の手合いに、『時効捜査』が述べているような「プロのスナイパーによって敢行された完成度の高い仕事」(P.341)など遂行できるはずがないのです。
 なお、供述内容とは別に、正しくは「三月」であるところを「四月」とするような誤りが散見されるのも気になります。とにかく、この本は事件の真相に迫るうえではあまり役に立たないのでは、というのが真の当事者である私の読後感でした。
(2011年10月記)



(東京地検検事正宛て)上申書






(報道記者各位宛て)要望






(国家公安委員長宛て)上申書










(弁護士経由)報道機関宛て書状






(警察庁長官宛て)要望書





(警視総監宛て)要望書+弁護士添え状








警察庁長官狙撃事件をめぐる新聞報道の怪


干からびたタオル

 今年の3月30日を中心として、四大全国紙を初め「日経」「東京新聞」のほかにいくつかの地方紙、さらに二、三のテレビ局まで加わって、ある一つのテーマについての報道が流された。こういうと、何か重要なテーマをめぐって各紙各局がこぞって一大キャンペーンを展開したかのように受け取られるかもしれないが、実状は全くそんな派手なものではなかった。第一、各社が寄ってたかって報道しなければならないほどの内容ではなかったのである。
 1995年(平成7年)3月30日、当時の國松孝次警察庁長官が出勤の途上で何者かに狙撃されて瀕死の重傷を負い、辛うじて命は取り止めたものの、長期間にわたって執務ができなくなるという前代未聞の事件が起こった。この事件に対しては、特別捜査本部が設置されたが、その後、捜査はいくつかの失態を伴いながら迷走を重ねて、現在に至るまで未解決のままである。
 事件発生から14年目に当たるこの日に、捜査の現状を考察して、それを記事にする報道機関があっても別に不自然ではないが、しかし、報道各社がこぞってこの「記念日」の行事に参加するとなると、いささか奇異な感じがしないでもない。まして、その「祭」に担ぐ神輿(みこし)の中身は空に近いのだから、なおさらである。
 それでは、これからその報道の実態を検証してみよう。
 一連の報道の口火を切ったのは「読売」である。3月27日付朝刊の第一面に、長官狙撃事件の現場に遺されていた10ウォン韓国硬貨の拡大カラー写真を載せて、この硬貨から検出されたミトコンドリアDNAが、あるオウム信者のものと一致したというのである。曰く、
〈遺留品に元信者DNA
 現場のマンション敷地内に落ちていた韓国硬貨の付着物が、オウム真理教元信者の男性(37)のDNAと一致したことが、警視庁の鑑定でわかった。(中略)同庁は、教団の関与を疑わせる物証が得られたとして、捜査本部の態勢を強化するなど、実行犯の特定に向け捜査を本格化させている〉
 つづけて社会面でもこう言い立てる。
〈時効へ1年 新展開も
 銃撃事件を巡って、また一つ、オウム真理教の関与を疑わせる事実が明らかになった。(中略)あと1年となった時効成立までの間に、新たな展開を見せる可能性も出てきた。(中略)韓国硬貨から元信者のDNAが検出され、同庁関係者は「捜査方針が補強された」とする〉
 本誌の読者の中には、この記事を目にして、以前どこかで出合ったことがあるような感じを持たれた方がいるかもしれない。それもそのはず、実は本誌の05年3月号に掲載された中村泰という人物(以後、Nとする)の手記の中に出ているのである。このNなる男については、後でまた述べることになるが、03年秋頃から長官狙撃事件の犯人あるいは重要容疑者として取沙汰されていながら、現在に至るまで白黒が付けられないでいるという謎めいた存在なのだが、とにかく彼はその手記の中で、現場遺留品とオウム信者のDNAとの関係について述べている(前出誌P.97下段)。
 それは、捜査本部によってオウム信者をはめるための細工がされ、こうした証拠の捏造が試みられているらしいというネガティブな所見である。ここでは、その詳細は割愛するが、4年も前に公開されて、もうとっくに賞味期限切れになっている話題を今頃になって、さも新事実であるかのように取り上げられては、書いた当人も苦笑しているのではあるまいか。
 しかも、「読売」が〈警視庁関係者〉としているネタ元は、余計な一言でその情報の信憑性を損なってしまっている。それは、この硬貨が現場の〈植え込み〉で見付かったとしていることである。だが、実際は、狙撃犯が潜んでいたFポートの出入口内側にあるホールのような場所の床面に落ちていたのだ。狙撃者は、それが発見されやすいように見通しがいい床面に抛り投げておいたのである。そんな事実も知らない者からの情報の真実性には疑問符が付く。ともかくも、情報の丸呑みには注意しなければならない。
 同紙の社会面では、前述のDNA鑑定結果に加えて、当時の教団幹部らのアリバイが不確かになったことから、捜査の先行きに新たな展開が期待できるとしている。だが、事件発生時に現場にいたという確かな証拠でも出てきたのであればともかく、14年前の当日のある時間にどこにいたのかあいまいだということぐらいで、事態が変わるはずもない。
 また、〈公安捜査のベテラン〉が起用されたことで事件解決が促進されるような書き振りであるが、筆者としては、04年7月に公安部がオウム関係者4人の逮捕を強行した際に、その捜査員がそれに賛同していたのかどうかのほうに関心がある(狙撃犯の支援役として事件に係わったと称する元オウム信者で、警視庁の巡査長だったKの供述に基づき、公安部はオウム犯行説で強制捜査に着手。しかし、結局、何ら立証できず、逮捕した全員が不起訴処分となり、捜査は大失敗に終った)。この種の愚行の再演を企図するような偏執者でないことを望むからだ。とにかく、どんなベテランであろうと、乾いたタオルから水を絞り出すことはできない。長官狙撃事件に関する限り、オウムは洗い尽くされて干からびてしまったタオルなのである。

幻の銃

 それに、もう一つ。使われた拳銃はコルト・パイソンだと記されているが、現物は未発見なのにいったい誰がそう決めたのか。Nが公表した手記(「新潮45」04年4月号掲載)には、確かにコルト・パイソン・ハンターと書かれている(同誌P.62)。単なる推測によるものとも思われたが、その後、アメリカ国内の銃器売買の記録を管理するATFという政府機関に、彼が同種の拳銃を購入していた記録が残っていることが判明した。
 これに対して、オウムのほうからは、この一見して印象に残る長い銃身を持つ拳銃について、それが存在していたことを裏付ける証拠も証言も出ていない。ただ、K元巡査長の舌先三寸に現れたり消えたりする幻の銃があるだけだ。幻を追いかけて得られるのは、96年秋の神田川の川浚いのときのような、疲労と落胆のみである。
 29日になると、「産経」がこれに続いた。
 実は昨年、「産経」はこの「記念日」を前にして、N犯人説を核心とする記事を大々的に掲載していたのである。第一面のトップに掲げたのを手始めに、社会面では3日間にわたる特集記事を組んだ。これは、社会部のA記者がN本人と直接面談し、多くの関連資料を入手するなどの入念な取材活動に基づいたものであるだけに、その内容はなかなか充実していた。
 たとえば、実行犯は逃走に自転車を使用していたが、Nが警視庁刑事部に供述したその遺棄状況に合致する放置自転車が実際に存在していた事実や、さらに、事件二日前の朝にも現場に赴いて、その際、2名の警察官らしき人物が國松長官宅を訪れたのを見た旨のNの供述が、実際に挨拶のため國松宅を訪問していた警察幹部らがいたことが後の捜査で裏付けられて、これらが「秘密の暴露」にあたる可能性があると報じていたのである。
 長官狙撃事件の捜査状況について、あまり具体的な知識がなかった警察庁幹部は、この記事によって認識を新たにしたともいわれている。一方、他の各紙は沈黙を守った。追随するにせよ反論するにせよ、手持ちの材料が乏しくて手が出せなかったのかもしれない。
 そういう経緯があったので、今回の読売報道に対しては、敢然とあるいは冷静に反論するかと思いきや、今年の「産経」はまことに気勢が上がらなかった。さすがに遺留物のDNAとか教団幹部のアリバイとかの屑情報を取り上げる愚劣さこそなかったものの、肝心のN犯行説については、過去の捜査の経緯を解説した後に、ほそぼそと遠慮がちに付け加えるにとどまった。しかも、その中には、前説の否定にもつながりかねない当局者の見解なるものまで取り入れていたのである。
 Nの供述は〈事情聴取の中で、事件の知識を蓄えていった可能性〉があるなどとは言いがかりに近い。彼は事情聴取が始まる前に、既にその手記(「新潮45」04年4月号掲載)の中で、現場の状況を精確かつ詳細に述べているではないか。彼と対峙したのは刑事部の捜査官であったが、捜査の前半期には公安部は頑なに手持ちの資料を開示することを拒んでいたから、刑事部の捜査は全く手探り状態で進められたのである。
 したがって、多数の放置自転車の押収状況のデータもなければ、事件の2日前の警察幹部来訪の事実なども全く知らなかったのである。こういう類のことはすべてNから教えられたのであり、つまり〈事情聴取の中で、事件の知識を蓄えていった〉のは刑事部捜査官のほうだったのだ。公安部は、K元巡査長を現場に案内し、十分に観察させたうえで詳細な見取図を書かせたりした自らの手口から連想して、このような発言をしたのであろうが、まさに語るに落ちたというところである。
 また、現状の説明として、記事中に登場する警察幹部の〈元巡査長の供述も中村供述もリアリティーはあるが〉というコメントも適切ではない。Nの供述が度重なる聴取に際しても基本的に終始一貫しているのに対して、K元巡査長のほうは核心部分が二転、三転しているので迷わされるばかりであるが、ともかくも公開されている情報によって、その一端を検証してみよう。
 マインド・コントロールされていたというK元巡査長の脱洗脳治療を公安部から委嘱された脳機能学者、苫米地英人氏が著わした「自伝・ドクター苫米地」(主婦と生活社)に長官狙撃事件に触れた一章があるが、その中にK元巡査長の供述として〈最後の1発は本当はこめかみを狙った〉とある(P.148)。20メートル以上も離れて、射手の方に足を向けて俯せに倒れている人間のこめかみを、どうやって狙えるのか。しかも、長官が2発目を被弾した直後に秘書官(T警視)がその上に覆いかぶさっているのだから、なおさらである。狙撃者はそれで止むをえず、僅かに露出していた右大腿部に3発目を撃ち込んでいる。
 K元巡査長の供述は、さらに発射直前に〈長官と目があい〉(同前)、そのために当て損なったと続くが、撃たれた側では倒れたまま身動きもできなかった長官はいうまでもなく、秘書官を初め誰一人として、建物の陰に隠れて発砲していた狙撃者の顔を見た者はいなかったのである。最も決定的な事実は、秘書官も護衛の警官も最後(4発目)の銃声を聞いたのは、長官の体が植え込みの陰に引き入れられた後だったと証言していることだ。第4弾は既に隠れてしまった長官に向けられたのではなく、狙撃者から見えていた護衛の警官に対する威嚇射撃だったのである。
 これでもK元巡査長の供述にリアリティーがあるというのであれば、その発言のほうこそリアリティーを欠いている。昨年の特集記事には、その連載の終了後の3月30日に、社会部の大塚創造記者が署名論評を寄せてバックアップするほどの力の入れようだった。それが今年は、前述のような不適切な内容の談話まで導入して、前説を否定しかねないような記事を掲載するとはどうにも合点の行かない態度である。

前座からとりまでの空虚な報道

 いよいよ当の30日になると、「朝日」「日経」「東京新聞」の3社が「記念行事」に参加した。
 まず「朝日」であるが、捜査本部はK元巡査長が当時使っていた眼鏡やマスクに付着していた微物について、大型放射光施設「スプリング8」での鑑定を進めているという。これは犯行現場で採取された、拳銃発射の際に出た火薬の残渣物の成分と一致するかどうか調べるためである。しかし、03年頃には既に同じ施設でK元巡査長のコートの微物を鑑定しているのだ。にもかかわらず、これまで眼鏡やマスクは放置していたとすれば、その理由のほうこそ「鑑定」してみたいものである。
 それに、記事の中には、発射薬の成分はどの銃弾でも大差がないから決め手にはなりかねたという否定的見解も併記されている。これはK元巡査長は現職警官だった当時には実弾射撃の訓練も受けていたであろうし、当然その際に微量の発射薬が付着することもありうるからである。
「日経」の記事は、扱いも小さく内容も「朝日」と大同小異で取り立てて言及するほどのものではない。しかし、南千住署の捜査本部では〈七十人態勢で捜査を継続〉とあるからには、読者にしてみれば、それほど大掛かりな捜査活動を長年続けていながら、捜査の初期から対象者となっていたK元巡査長について、未だに白黒が付けられないでいるのは何故であるかを解説してもらいたいところであろう。それは、単に公安部の捜査能力が貧弱だからと片付けられてしまっては身も蓋もないが。
「東京新聞」の記事の規模は「朝日」とほぼ同じくらいであった。内容にも大差はないが、ただ、先に「読売」が報道の中心に据えていた例の韓国硬貨のDNA鑑定の件にも少し触れている点が異なる。しかし、捜査の先行きについては、当然のことながら「読売」ほどの空元気は見られない。
 最後は31日に、一日遅れで追い付いた「毎日」である。寄席ならばとりの立場だが、かといって格別注目するほどの出し物もなかった。前座の「読売」からのつまみ食いのようなK元巡査長の持ち物の付着物と韓国硬貨のDNAの話を取り込んでいるが、それに〈10ウォン硬貨2枚が落ちていた〉という落ちまで付いていたのはご愛敬か。実際に発見されているのは北朝鮮人民軍記章と硬貨の2点で、硬貨が2枚あったのではない。
   ☆  ☆  ☆
 これら一連の報道に通底するのは、時効まで一年に迫った長官狙撃事件は解決の見通しが立たないという悲観ムードである。「日経」などは率直に〈進まぬ捜査〉と表現している。先陣をきった「読売」だけは、4年前の古ネタまで引っ張り出してきて〈新展開も〉と景気付けを試みているが、全体を精読してみれば〈捜査のハードル〉は高いと思わせられる内容である。
 しかし、こうして主要新聞が揃って書き立てていながら、この行き詰まりを招いた原因を追究するものが一紙もないのはどうしたことであろうか。
 これが一般の難事件、例えば世田谷一家殺害事件などであれば、不特定多数の中から(おそらく一人の)犯人を炙り出さなければならないのだから、大きな困難が伴うことは容易に理解できる。ところが、本件の場合は初めからオウム真理教の犯行ということになっているのだ。オウムには、公安部が相手にしている左翼過激派のように地下組織が現存しているわけではなく、末端の信者に至るまで表に出てしまっている。しかも、一人や二人だけで実行したのではなく、命令した者、計画した者、実行した者、支援した者、銃や弾薬を調達した者と、かなりの人数が係わっていたはずである。それにもかかわらず、どうしていつまでたっても解決できないでいるのか、誰もが疑問を抱くのが当然である。
 各紙揃って悲観的見解を並べ立ててみせるよりも、初期には百人以上、今でも七十人態勢で〈これまで延べ約四十六万人の捜査員を投入〉(東京新聞)していながら、犯人グループがわかっているはずの事件が解決できないでいる原因を究明することこそ、報道機関の責務ではあるまいか。
 筆者にいわせれば、その原因は明らかである。ずばり、オウムの犯行ではないからだ。今では、捜査員の中でも心ある者はオウム犯行説を疑問視しているが、それがまともな判断というものであろう。では、なぜ他の者が未だにオウムに固執しているのかといえば、初期の「刷り込み」効果による「マインド・コントロール」下にあるからとみるのがよいかもしれない。となると、マインド・コントロールされている者が相手をマインド・コントロール呼ばわりする構図だが、まあ世間にはよくある例だ。
 それでは、オウムの犯行でなければ、真犯人は何者か。それは、昨年3月の「産経」の特集記事で指摘されたNにほかならない。そこに述べられていることの大部分は、明確な反証ができないだけに真実と見なしてよい。裏付け証拠に加えて「秘密の暴露」を含む本人の供述もあるとなれば、待ったなしで逮捕、送検、起訴へと進むのが当然なのだが、それがそうならないところに本件の異常さがある。

呪われた事件

 本件は警察にとって呪われた事件とされている。日本警察の最高指揮官が狙撃されて「戦線離脱」を余儀なくされるという前代未聞の不祥事に始まって、その翌年にはいわゆる「小杉騒動」が起こって警視総監を初めとする警視庁幹部の辞職や更迭となり(※この時には、K巡査長は「自分が長官を撃った」と供述していたが、その信憑性に疑問があり、捜査が不徹底であったことが批判を招くことになった)、さらに04年七夕の日の「八百長劇」ともいわれるオウム関係者4人の逮捕が全員不起訴に終る醜態をさらした。これが警視庁幹部の「トラウマ」となって、何か新たな行動を起こせば、またもや不祥事に巻き込まれるのではないかと恐れているのである。幹部の各人には、多かれ少なかれ自分は矢面には立ちたくないという思いが窺われる。
 そもそも警察首脳部にとって、Nはそれほど恐ろしい相手なのか。確かに彼は正体を秘して謀略活動一筋に徹してきた男であるかもしれないし、長官狙撃事件では日本警察がまんまとその謀略に踊らされたことが彼の手腕のほどを示しているともいえる。だから、今度もまた何か罠が仕掛けられていて、うかつに動けば嵌められるかもしれないと警戒するのもわからぬではない。
 しかし、ここに彼が三、四年ほど前に作成した『特別義勇隊の結成計画について』『1994―5年の事態の推移』という標題の2通の文書があり、それらは捜査当局に提出されているし、一部の報道機関にも提供されている。それには、彼がニカラグア革命防衛戦争に参加することを企てて中米へ赴いたことに始まって、対北朝鮮工作、対オウム闘争計画から長官狙撃後に至るまでの経緯が述べられているが、それを読めば、謀略活動はあくまで本来の目的達成のためであって、別に警察を罠に掛けること自体を目指しているのではないという筋道がよくわかる。必要以上に警戒することはないのだ。
 それとも、Nが真犯人ということになると、これまで膨大な人員と予算と年月をかけて進めてきた対オウム捜査は全くの見当違いによる徒労だったことが明らかにされて、公安警察の威信が失墜すると危惧しているのであろうか。しかし、公安警察は既に、史上初の化学兵器テロともいえる治安上の大問題、松本サリン事件の発生後に、その再発を防止する有効な対策を講じられなかったという大失敗をやらかしている。今さら威信がどうのこうのといえる柄でもあるまい。
 それに、日本の公安警察など、多くの国で影響力を行使してきたCIA、悪魔のように恐れられたKGB、「007」のモデルにもなったMI6、世界最高の秘密情報機関とされるモサド等と比較すれば、ものの数にも入らないほどの存在でしかない。外から見れば、狭い島国の中で自動小銃の一丁すら持たない左翼過激派やら右翼活動家やらを相手にしている程度の弱小組織が、今さら見えを張ってみても滑稽なだけではないか。
 しかも、世界にその名を轟かせているCIAでさえ、先頃はカーブ・ボールという暗号名のイラク人亡命者の虚言に惑わされ、ありもしないサダム・フセインの生物兵器の情報をホワイトハウスに届けて、大義なきイラク戦争へ導くという大失態を演じている(わが小泉首相もその尻馬に乗ったのは周知のとおり)。それに較べれば、Nの逮捕の結果がどうなろうと死者が出るわけでもなし、たいしたことではあるまいと思われるが。
 この特捜本部事件をこのまま封印して迷宮へ送り込むか、それとも断固として最後の賭けに打って出るか、決断するだけの余裕はもう殆どないほどに期限は切迫している。「東京新聞」の記事の末尾に、〈このまま犯人を検挙できずに時効を迎えてしまったら腹を切る覚悟で当たっている〉という捜査幹部の発言がある。それほどの決意があるなら、腹を切る前に打つべき手を打つのが先であろう。
(もりお あまの) 
 
「警察庁長官狙撃事件」をめぐる新聞報道の怪

July 2009

開設に当たって


 時代遅れのIT音痴ともいえる老いの身をも顧みず、しかも拘禁中の不自由さを押して私がこのブログを立ち上げたのは、司法当局による警察庁長官狙撃事件の真相隠蔽工作の実態をできるだけ多くの人に知ってもらうためにほかなりません。
 ご存知の方も多いと思われますが、念のためにここであらためて事件の要約を記しておきます。1995(平成7)年3月30日、日本警察の総指揮官であった國松孝次警察庁長官が出勤のため自宅を出たところで待ち伏せていた刺客に狙撃されて瀕死の重傷を負い、奇跡的に死は免れたものの、長期間の職場離脱を余儀なくされるという日本警察にとって前代未聞の不祥事が発生しました。しかも、この不祥事はその後の捜査の混迷によって途方もなく増幅されることになったのです。
 近年、足利事件を始め氷見事件、布川事件、東電女性社員殺害事件等の冤罪事件があい次いで浮上していますが、長官狙撃事件はその裏返しともいえるものです。つまり、明らかに真犯人と判っている者が司法当局者の不当で不可解な思惑によって立件されずに公正な裁判から排除されてしまうのは、無実の者を有罪とすることと同様に司法が正常に運用されていないことの現れです。
 一般に冤罪事件というのは、関係者の功名心や思いがけない偶然が重なったりした結果として、捜査担当者が無実の者を犯人と思い込んでしまうためであることが多いのですが、本件の場合は多くの情況証拠や任意性の高い当人の供述によって真の実行者が明らかになっていながら、それとは別の複数の人物を真犯人として名指ししているのですから、他の冤罪事件と較べてその本質的な悪質さは段違いであり、これは刑法の犯人隠避罪に相当するといっても過言ではありません。
 何故か、マス・メディアはこうした司法当局の意図的な不法行為を黙認するか、あるいは追求しかけても中途半端で断念してしまっています。しかしながら、これを放置したままではこの先も法執行機関の劣化に歯止めがきかなくなります。あくまでもそれを糾弾する声を上げ続けること、そしてできるだけ多くの国民にそれが届くようにすること、これが老い先短い私に課せられた義務であると信じればこそ、こうしてブログを開設した次第です。

中村泰