時代遅れのIT音痴ともいえる老いの身をも顧みず、しかも拘禁中の不自由さを押して私がこのブログを立ち上げたのは、司法当局による警察庁長官狙撃事件の真相隠蔽工作の実態をできるだけ多くの人に知ってもらうためにほかなりません。
ご存知の方も多いと思われますが、念のためにここであらためて事件の要約を記しておきます。1995(平成7)年3月30日、日本警察の総指揮官であった國松孝次警察庁長官が出勤のため自宅を出たところで待ち伏せていた刺客に狙撃されて瀕死の重傷を負い、奇跡的に死は免れたものの、長期間の職場離脱を余儀なくされるという日本警察にとって前代未聞の不祥事が発生しました。しかも、この不祥事はその後の捜査の混迷によって途方もなく増幅されることになったのです。
近年、足利事件を始め氷見事件、布川事件、東電女性社員殺害事件等の冤罪事件があい次いで浮上していますが、長官狙撃事件はその裏返しともいえるものです。つまり、明らかに真犯人と判っている者が司法当局者の不当で不可解な思惑によって立件されずに公正な裁判から排除されてしまうのは、無実の者を有罪とすることと同様に司法が正常に運用されていないことの現れです。
一般に冤罪事件というのは、関係者の功名心や思いがけない偶然が重なったりした結果として、捜査担当者が無実の者を犯人と思い込んでしまうためであることが多いのですが、本件の場合は多くの情況証拠や任意性の高い当人の供述によって真の実行者が明らかになっていながら、それとは別の複数の人物を真犯人として名指ししているのですから、他の冤罪事件と較べてその本質的な悪質さは段違いであり、これは刑法の犯人隠避罪に相当するといっても過言ではありません。
何故か、マス・メディアはこうした司法当局の意図的な不法行為を黙認するか、あるいは追求しかけても中途半端で断念してしまっています。しかしながら、これを放置したままではこの先も法執行機関の劣化に歯止めがきかなくなります。あくまでもそれを糾弾する声を上げ続けること、そしてできるだけ多くの国民にそれが届くようにすること、これが老い先短い私に課せられた義務であると信じればこそ、こうしてブログを開設した次第です。
中村泰
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