長官狙撃事件に関しては3社からそれぞれ特色のある本が出版されていますので、この事件についてさらに深く知りたいという方がたには一読をお勧めします。ただし、最後の産経出版の本は無視されてもかまいませんが。
以下、書評をかねてそれらの紹介をします。
『警察庁長官を撃った男』(鹿島圭介著・新潮社 2010.3.20発行・¥1575:改訂文庫版・¥620)
この著者は題名が示している真の狙撃者である私に直接取材をしているだけに、事件の真実に一番迫っていることはいうまでもありません。狙撃の動機、使用銃器、行動の実態等についての記述の精確さが他の二書の及ぶところでないのは当然です。
とはいっても、著者の思い込みや思い違いのようなことも入っていますし、書かれていることが100%真実というわけでもありませんが、それでも95%程度の真実性は保証できます。それだけあればドキュメンタリーとしては十分に合格点を上回っているといえましょう。
この本の中で私にとって最も印象が深かったものの一つは、第五章後半の遺留弾丸の鑑定の部分でした。著者のいうとおりこの鑑定資料はそれまで全く目にしていなかったので、この本によって初めて知ったことがいくつもあったからです。
それにしても、これほどの精密詳細な鑑定結果が得られたのには、科研(=科学捜査研究所)にいた一人の技術者の働きによるところが大きかったといえそうです。それが本著(P.173 文庫版ではP.236)で「U.T.」と記されている内山常雄技官(現在は退官)です。
この人物はUSAの銃器感定員の公的資格を有するエキスパートで科研の銃器鑑定技術が現在の水準に到達したのはこの人の貢献があったからこそと私は考えているのですが、まずもって日本においてはこの道の第一人者といえるのではありますまいか。
長い間、国内の銃器関連事件の殆どすべてにかかわってきたこの鑑定員が、8インチ銃身のコルト・パイソンという数少ない拳銃とフェデラル社製のナイクラッド357マグナム弾(カタログ名「N357E」)という希少な弾薬との考えられないほど希有な組合わせの凶器を所持していた者こそ本件の真犯人であると断定していたことをここに付け加えておきましょう。
もう一つ注目すべき現象は、この本が一般社会でよりもむしろ警察部内で広く熱心に読まれていたらしいことです。警視庁内の売店に平積みされていた本書がたちまち売り切れてしまい、他の職員の目から隠すために公安部が買い占めたのではないかという噂まで出たくらいですし、警察庁内でも必読書に近い扱いをされていたとか。
確かに徹底した秘密主義の公安部門で秘匿されていた事実が次々と暴露されているのですから、何も知らされていなかった他部門の職員が関心を抱くのも無理からぬことですが、しかし、何にもまして自分の所属する組織の最高指揮官が狙撃された重大事件に無関心ではいられないという事情に基づくものでしょう。
『時効捜査』(竹内明著・講談社 2010.4.23発行・¥1995)
400ページを越すかなり分厚い本ですが、内容もそれなりに充実しています。著者は司法当局に広く人脈を持っているそうですが、さすがに捜査陣の内幕については詳細で臨場感もあります。長官が撃たれたために警視庁が全力を挙げてオウム教団と闘う決意を固めてゆく状況が明らかにされていることは、私にとって狙撃の目的が達成された事実を裏付けるものとして、感慨を新たにさせられました。
しかし、またそれとは別に市井の歯科医が実は弾道学の権威で鑑識の嘱託員となって活躍していたという事実には、まるでミステリー小説にでも出てきそうな展開で全く驚かされました。私は一般兵士などよりもはるかに銃器弾薬についての知識は豊富だと自負していたのですが、それでも個々の弾薬メーカーの製造実態まで知悉していたわけではありませんから、本書にある使用銃弾の詳しい背景説明によって新たに知ったことも少なくなかったのです。
それはともかく、ここで使用銃弾についての本書の断定的見解に対する反論を述べておかなければなりません。それは銃弾がハンドロードhandloadであるとしている記述ですが、私は絶対にそんな加工などはしていません。
そもそもナイロン被膜という傷つきやすく剥がれやすい外被を持つ弾体を固く締め付けられた薬莢から抜き取って、火薬量を減らした元の薬莢、あるいは新たに調合した発射薬を充填した別の薬莢に、再び嵌め込んで完全な形に仕上げるというのは、ちょっと想像してみただけでもきわめて困難な芸当であることがわかります。
しかも、わざわざそんな細工をしてみたところで格別有効な結果は期待できません。それで仮に30mで1~2cmほど精度が向上したとしても(狙撃用小銃の弾がすべて高速弾である事実からすればそれさえ大いに疑問ですが)それが結果的にどれほどの意味がありましょうか。むしろ、そのために弾速が落ちてマッシュルーミング効果(弾頭部の広がり)が減殺されて殺傷能力を低下させることになります。結局こうした小細工は全く実戦的ではないのです。
では、弾速が通常の357マグナム弾より低いと判定されたのはなぜでしょうか。これはおそらく火薬の経年劣化によるものではないかというのが私の推測です。私が入手したのは'80年代後半でしたが、実際に製造されたのはその数年前だったようです。'95年に使用するまでには多分10年以上経過していたと思われますから、保管状態にもよりますが、どうしても多少の品質劣化は避けられないと考えます。
ともかくも結論としては、著者がオウム犯行説にも中村犯人説にも否定的である以上、それ以外に犯人を求めなければならないからといって、北朝鮮やロシアまで引っ張り出すのでは、どうも本筋を離れてしまうのではありますまいか。
『公安を敗北させた男』(小野義雄著・産経新聞出版 2011.3.20発行・¥1680)
ここに挙げた三冊のうちで最も薄い(244ページ)うえに挿入写真もないのに、『警察庁長官を撃った男』よりも高い値がつけられているのはどうも納得がいきません。それも特に内容が充実しているとでもいうのならともかく、実質的には既に上記の二書に記されているものに少しばかり色を着けて繰り返しているような内容ですからなおさらです。
本来なら(表向きの)時効完成後一年も経って出版されたのですから、その後の注目すべき動きを取り上げることこそ後発の本書を特徴付けるものだったのに、全然その利点が生かされていません。こうした動きの中には野崎研二弁護士による真犯人、つまり中村の刑事告発、検事による出張取調べ、検察庁内での異論を封じ込めたままの不起訴処分、それに対する検察審査会への申し立て等、その一部は全国紙にも報道されたのですから、それらも取り上げるべきであったと思うのですが。
それはさておき、私が本書の文中で疑問を感じたのは、「事件直後に国松長官が倒れている俯瞰写真」(P.175)なるものはいったいいつ誰が撮ったのかということです。それとも後日作り上げたやらせ写真なのでしょうか。いずれにしても、狙撃直後は関係者全員が動転していて、平静に状況把握していた者などいなかったはずです。ただ、前もって行動手順を心得ていた狙撃者一人だけが割合い冷静に現状確認をしていたのです。
私から見れば小杉巡査長は必ずしも「公安を敗北させた男」とはいえないと思います。確かに捜査陣が彼の言動に振り回された面はあるにしても、実際には公安(幹部)が自らの思い込みの罠に足を取られて転んでしまったものといえましょう。少なくとも私についてならば、特捜本部は事件を解決するに足るほどのもの、つまり普通の刑事事件なら立件できるくらいの証拠を得ていながら、警察首脳部は何事かを恐れて逃げを打ってしまったということなのです。
まあ、私なりに小杉巡査長の心理状態を推理してみれば、彼は自分が引き合いに出したオウムの幹部達が決して自分のでたらめな発言を裏付けるような(偽の)供述をすることはあるまいと考えていたでしょうが、それでも用心のために(間違っても冤罪になったりしないように)適当に不合理な発言を交えるという予防線を張っていたのだろうと思います。それに、自分を冷遇してきた警察組織を己れの一言一動で翻弄してやれることに、ひそかな快感をおぼえていたのかもしれません。もっとも、現場の老練な捜査官なら、ここに述べたことぐらいはとっくに見抜いていたでしょうが。
それにしても、オウムの端本悟が狙撃者だったというのは著者の苦しまぎれのこじつけとしか受け取れません。だいたい秘密情報機関で特別な暗殺の訓練を受けたわけでもなく、数人がかりで丸腰の民間人(坂本弁護士一家)の寝込みを襲ってドタバタ殺人劇を演じた程度の手合いに、『時効捜査』が述べているような「プロのスナイパーによって敢行された完成度の高い仕事」(P.341)など遂行できるはずがないのです。
なお、供述内容とは別に、正しくは「三月」であるところを「四月」とするような誤りが散見されるのも気になります。とにかく、この本は事件の真相に迫るうえではあまり役に立たないのでは、というのが真の当事者である私の読後感でした。
(2011年10月記)
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